神奈川生まれでそのまま東京周辺で大人になりました。大人になって大阪に住んでいた時期がほんのちょっとだけあります。大阪には当時気に入っていた坂がありました。市内中央区の「口縄坂」(くちなわざか)です。陽気のいい休みの午後にぶらりと歩いたものでした。
「口縄坂」は、大阪城の南側の坂、四天王寺あたりの谷町筋(たにまちすじ)から松屋町筋(まっちゃまちすじ)に向かう大阪七坂(口縄坂、清水坂、源聖寺坂、愛染坂、天神坂、逢坂、真言坂)の一つです。坂の上は夕陽丘とよばれ、海が近くだった昔から大阪湾に沈む夕陽夕暮れの風景は多くの人に愛されてきました。
新古今和歌集の選者・藤原家隆(1175年~1237年)は夕陽丘を終の地と決め詠んでいます。
ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入り日をおがみつるかも
時代は一挙に進みますが「夫婦善哉」の作家織田作之助(1913年~1947年)も「口縄坂」が好きだったようです。「口縄坂」のてっぺんに彼の小説の一部が碑として残されています。
口縄坂の上に立つと、坂の下、西の方向に両脇の木の隙間からなんばの街が透いて見えます。特に変わり映えする景色ではなく、むしろどこの街にでもあるようなただの石段です。実際歩くと上りも下りも石段の段差は低く大したことはありません。途中の両脇は石塀でむしろ無粋な感じさえあります。
でもなんだか子どもの頃に来たことがないのに、まるで母に手をひかれてこの石段を一段一段上ったことがあるような気持ちにさせてくれて、東京に越して暫くたった今でも「口縄坂」を散歩したくなるのです。
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