おばけの修学旅行 その4|ビデオリサーチ スタッフブログ集

twitterでシェアするfacebookでシェアするgoogle+でシェアする
ビデオリサーチ オープンカフェ
現在実施中の調査調査にご協力いただく皆様へ今月の数学とっ撮り食堂(仮)M(みんなの)ランキング
その他のメニュー

フリーエッセイ

インデックスへ
2012.11.15|OpenCafe Blog

おばけの修学旅行 その4

 こんにちは熊五郎です。今日は修学旅行4日目、今回は政敵の問題です。
ドラマの平清盛をご覧の方はおわかりかと思いますが、平安時代、政治を司るやんごとなき身分の方々は日々政争に明け暮れていたようです。政争では勝者と敗者が生まれます。そして勝者は敗者にとどめを刺します。平安時代は嵯峨天皇が818年に死刑を実質的に廃止してから347年間、(少なくとも中央政権では)死刑は実施されなかったようです。ですからとどめを刺すとは言っても、命を取られるわけではなく政争に敗れた者は配流されました。
しかし、敗者は恨みを募らせ遠隔の地で非業の死を遂げます。そうすると政争の勝者は急に不安になります。「さぞ俺のことを恨んでいたんだろうな。汚い手を使って陥れたりもしたしなあ。」時を同じくして自分の身内に不幸が続く。都に疫病が流行る。そうなるともう「祟りじゃ~」となります。そして、祟りを鎮めるには憤死した政敵を再び都にお迎えして神としてお祀りしよう、願わくば都の守護神になっていただこう、ということになります。こうした虫のよい願いから創建された寺社がいくつかあるそうです。
 ※落語では「崇徳院」というお話(主役は私、熊五郎です!)があり、この崇徳院(崇徳上皇)さんも怨霊伝説を持っています。
閑話休題

20121113①地図.jpg
 こうした神社の集大成的なものが、上御霊神社(地図①)・下御霊神社(②)です。またもや平安京の北東方面です。私はこの二社に行けなかったので写真はございません。この2つの神社には大物の祟り神8神(元は人間だから8人?)が祀られています。この内、早良親王(さわらしんのう)、菅原道真(すがわらみちざね)、吉備真備(きびのまきび)などは有名です。さらに、こうした神々を接待するためにお祭りも行われました。御霊会(ごりょうえ)といいます。最古の記録は神泉苑(地図③)での御霊会だそうです。神泉苑は当時、天皇や公家の宴遊の場所だったので、祟り神様を都の中心に招いておもてなししたのです。

20121113②神泉苑.JPG今も貴族が遊んだ当時をしのばせる屋形船が浮かんでいます。

21121113③神泉苑2.JPG

ここの歳徳神(さいとくじん)のお社は毎年大晦日に翌年の恵方に合わせてぐるりと向きを変えられています。
 ※落語の「死神」みたい。わからないですよねー「アチャラカモクレン」。
またまた脱線

 祟り神の中でも最も恐れられたのが、菅原道真公でしょうか。宇多天皇、醍醐天皇に重用され899年右大臣にまで昇進すると、藤原氏を中心とする既得権益派の恨みを買い、901年、政敵藤原時平の讒言で大宰府に左遷され、翌年失意のうちに死去しました。
 その後道真を追いやった政敵たちがつぎつぎと死んだり、都に天然痘が流行ったり、ついには内裏に落雷し犠牲者が出るに及んで道真の“神”認定が定まりました。

20121113④北野天満宮.JPG 祟り神、菅原道真をお祀りし「もう祟らないでむしろ都をお守りください」と北野天満宮(地図④)を建てました。今では学問の神様、天神様として皆に親しまれていますが、元は恐ろしい存在だったのです。

 そうは言っても、政敵の祟りなんて庶民には関わりのないセレブ界もめごとのはなし。庶民はどのような気持で日々暮していたのでしょうか。
 最終回はそのあたりを求めて京の街を放浪しようと思います。あと1回お付き合いお願いします。


コメントを投稿する

※スタイル用のHTMLタグを使うことができます

    

視聴率調査・マーケット調査のビデオリサーチがお届けする、コミュニティサイト「ビデオリサーチOpen Cafe」

page top