おばけの修学旅行 その5(最終回)|ビデオリサーチ スタッフブログ集

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2012.12.19|OpenCafe Blog

おばけの修学旅行 その5(最終回)

こんにちは、おばけの修学旅行も最終回です。今回は平安京の仏教思想に基づく問題です。

平安京の周囲には鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)、蓮台野(れんだいの)など葬送の地があり、人が死ぬとそこに運ばれました。仏教では六道輪廻の思想により、死んだ者は生前の行いの善悪によって(1)天道(2)人間道(3)修羅道(4)畜生道(5)餓鬼道(6)地獄道のいずれかに生まれ変わると信じられていました。

人々は苦しみのない天道か、せめて今と同じ人間道に生まれ変わりたいと願い、絶対に地獄には堕ちたくないと考えていました。そのような願いをこめて葬送の地の入り口には冥界につながるお寺ができました。
それが六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)(地図①)や千本えんま堂(地図②)などです。

Blog63-1地図.jpgこのテーマでは非常に重要な人物がいます。彼は小野篁(おののたかむら)といい、朝廷に仕える高官でした。遣唐使小野妹子の子孫であり小野小町や小野道風の祖父であり、優秀な官僚であり漢詩や和歌にも優れ(百人一首にも選ばれています)、体格も180cmを超え、性格もよくスーパーエリートだったようです。ただ、反骨精神が旺盛で遣唐使をさぼったり朝廷批判の詩を作ったりして一時隠岐に配流されています。そして何よりすごいのは、この人は昼は朝廷に仕え、夜は冥界で閻魔大王の補佐をしていたという伝説を持っていることでしょう。

六道珍皇寺入り口
Blog63-2珍皇寺①.JPG珍皇寺境内
Blog63-3珍皇寺②.JPG奥右に見えている井戸が小野篁が夜ごと地獄に下りて行った入り口といわれています。普段は近寄れないのでのぞき窓からパチリ。
Blog63-4珍皇寺③.JPG
右大臣藤原良相(ふじわらよしみ)が死んで閻魔大王の前に引き出された際、大王を補佐していた篁の大王への助言で生き返ることができたという伝説があります。後日、藤原良相が内裏で篁に出会ったとき「あれはどういうことか」と尋ねると篁が「以前世話になったのでそのお礼です。このことは内密に」と言ったとか。
※藤原良相といえば昨年の藤原邸での調査で出土した土器に平仮名が書かれていることがわかり万葉仮名から平仮名への移行を示す発見であると、つい先日報じられましたね。


都の北に位置する葬送の地、蓮台野の入り口には千本えんま堂の名で親しまれている引接寺(地図②)があります。ちょうどお盆の時期で大変賑わっていました。
Blog63-6えんま堂②.JPGBlog63-5えんま堂①.JPG













なんと閻魔様をご本尊とするここの創建は小野篁という説もあるそうです。まさに平安京の特命地獄担当大臣とでも言いましょうか。


京都の街中にはこんな小さな祠もたくさんあります(地図③)。町内会を守っていただいているのでしょうか。
Blog63-7地蔵.JPGお地蔵様は六道を輪廻する衆生を救う存在なので、地獄とも大いに関係あるのです。
 

最後に、お地蔵様の近所でこんな光景も、なんだと思いますか。
Blog63-8表彰状.JPG

これは、なんと地域のスポーツ大会でこの町内が上位入賞した表彰状なのです。感謝状や表彰状をお店や事務所の中に飾るのは見たことがありますが、屋外に掲げられているのは初めて目にしました。みんなの思いが込められているという意味では、お地蔵様と同じなのかもしれません。連綿と続く平安京の精神世界は現在も新規生産されているようで「スゴイぞ!京都」と称賛を贈りたくなります。

おばけの修学旅行はこれにて終了となります。最後までお付き合いくださりありがとうございました。
                                                                                                                                                                      熊五郎
 



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