はじめまして、手伝いの熊五郎と申します。
主に上方落語の世界で、正業は持っていないけれどときどき旦那様に呼ばれて仕事を言い付かる、
そんな存在です。現代で言うなら警視庁特命係みたいなもの?てったいの熊と呼んでください。
私もいい年齢になり、田舎暮らしをしたいと考え隠居所を買い求めたのですが、それが浜通りの浪江町。
福島第一原発から10km圏でして、2月に行って以来震災の被害状況も確認できていませんでした。
浪江町に申し込んでようやく6月22日(水)に一時帰宅してきましたので、レポートします。
ネットで検索したり地図を見ながら読んでいただけるとありがたいです。
◆現地まで
6月22日(水)午前10時30分 南相馬市馬事公苑集合 バスで自宅周辺に入る計画
私は埼玉県戸田市に住んでいますから、通常隠居所に向かうのは外環道で三郷経由、
常磐道を終点常磐富岡まで行くのですが、その辺りが警戒区域になっていますので立ち入れず、
東北道経由で二本松ICから川俣町、飯舘村を経て北から集合場所に入らなければなりません。
普段経験していないルートなので午前3時15分にクルマで戸田を出てカーナビを頼りに走行しました。
二本松から一般道を走り、川俣町に入ると自衛隊の災害派遣車両や長崎県警のパトカーなど
被災地に入ってきたことを実感させられました。
飯舘村に入ると事業所などには人の気配がありますが、田畑は何も作付けされておらず
冬の景色と同じか雑草の野原になっています。
馬事公苑には午前8時と集合時刻の2時間半前に着いてしまいました。
馬事公苑のすぐ南側が立ち入り禁止の検問所になっており、そこから先は無人の世界となっています。
◆集合・説明
馬事公苑は競馬場のようなトラックや厩舎がある広大な公園です。
程近い原町では毎年相馬野馬追い祭りも行われるなどこの辺は馬に縁の深い土地です。
みんなあちこちに避難していた人たちが続々と集まり「どうしてたんだ、ハー」と同窓会のように
懐かしがる会話に満ちていました。
10時30分から立ち入り住民に対し、防護服の説明、スケジュールや注意事項が説明されました。
この日は猛暑が予想され、防護服の前のファスナーは開けておいていいこと、いざというときは
放射線より熱中症の危険を優先させることなどの補足説明もありました。
この日は全部で12台のマイクロバスが用意されていましたが、1号車~4号車は自宅立ち入りは
ないそうです。
津波の被害に遭われた方たちなのだなあと察し、同じ被災者といっても状況がさまざまと
あらためて感じました。私は10号車です。
◆自宅へ
防護服を着てマイクロバスに乗り込みます。
バスの座席はすべてピンクのビニールシートで覆われており、帰りは私たち自身が
汚染物質の扱いになることがわかりました。
10号車の現地まで30分ほどの距離ですが、途中の家屋で外から見える被害で最も多いのは
“ぐし瓦”と呼ばれる屋根のてっぺんのロールケーキ型の瓦の崩落です。
人が立ち入れる他のエリアではせめてブルーシートと土嚢で応急措置がとれるのですが、
ここでは梅雨を前に吹きさらしのままということになっています。
私たちの浪江町大堀地区は大堀相馬焼きという焼き物の里でもあるのですが、10号車の皆さんは
その中でもたった1本の路地の住民でした。
私はまだよそ者なので顔をみてご近所の方と判断できませんでしたが、ごくごく近所の方たちだったのです。
1世帯2人まで立ち入りが認められており1軒ごとにバスを降りていきます。
その際、引率者が「13マイクロシーベルト!」などとその時点の線量を教えてくれます。
いよいよ私の番「23.5マイクロシーベルト!やっぱり樹が多いところは高いな」ショック!
自然が豊かというのは原子力災害ではよくないらしい。
樹が放射性物質のフィルターになってしまうのだろう。
****さて、久しぶりに到着した自宅。どんな様子だったか?後編に続きます。******
なんと酷いことでしょう!!
読んでいて胸がつまる思いですが、実際にその場に立たれたり
そこに居るしかない方々は、そんな事言ってる場合ではなく・・・
どうにかならないものかと、思ってしまいます。
ROSAさんいつもコメントいただきありがとうございます。
私は初めてのブログでドキドキしました。後半もアップされましたので、読んでやってください。よろしくお願いします。